珊瑚婚・九州旅行A 平成25年12月8日の夕方から12日の朝まで サンフラワー号往復で2泊、熊本市で1泊、指宿市で1泊して、まる3日間観光出来ました。 それを3回に分けて載せたいと思います。 |
2日目は熊本城、水前寺成趣園(水前寺公園)から鹿児島市維新ふるさと館を見て指宿温泉へ。 宿泊したホテルを10時少し前に出て熊本城を目指し、大通りのイチョウ並木を写真を撮りながらぶらぶら歩く。 昨夜行った、牧場直営・馬肉専門のお店はこの商店街を通る。馬刺しとホルモン焼き、もつ鍋は美味かったなあ〜。 熊本市は路面電車が走る。カラフルで色々なパターンの電車があります。 ホテルから10分ちょっとでお城の一番手前の加藤清正像に着いて、そこから8分程で歩いてやっと入場門。 最初に宇土櫓(うとやぐら)から中に入る。この櫓は400年前の築城当時からあり三層五階、地下一階からなる 国指定重要文化財。高さ19mで第3の天守といわれています。 最上階から四方を眺める。 そこには案内の人というか見張りの人というか、一人の小父さんが居りました。 「寒くて大変ですね」と声をかけたら色々と説明してくれる。西側の左の奥を指して仏舎利塔が有り、 インドの首相が来日された時に持ってきてもらった話など冗談を混ぜて面白く聞かせてもらいました。 本丸御殿の地下を通り天守閣の正面にまわる。地下に入った所で忍者の格好をしたお姉さんにすれ違う、 「くノ一や」と叫ぶが黙って通り過ぎる。少し行くと昔の西洋医の格好をした人が「拙者は何の何がし」と名のる。 地下を出た所で宮本武蔵の一番弟子と言う侍の格好をした無愛想な者が居る。写真を撮ろうとするとお城を 背にするように立つ。気が利く奴や。 天守閣に登る。熊本城は慶長12年(1607年)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正が 7年の歳月をかけ築城。加藤家改易後は幕末まで約240年にわたり細川家の居城となった。 名古屋城、大阪城と並び日本三名城の一つとして知れられる。 西南戦争の年に焼失したが昭和35年に再建した。高さ30mと堂々とした城構えで最上階は展望所となっており 天守閣内部では、肥後歴代藩主の武具や調度品、西南戦争の資料などを展示している。 西南戦争で焼失した本丸御殿は絵地図や古文書を元に、2008年5年余りの歳月をかけて復元された。 御殿への正式な入口でったという全国でも珍しい闇り通路を通って入る。 金箔が彩るきらびやかな昭君の間は必見です。 丸御殿の前に大銀杏の木がある。加藤清正がこの城を築城の記念にお手植えになられたと伝えられている。 熊本城は別名「銀杏城」といわれ、晩秋の黄金色に紅葉した銀杏の葉と、黒と白のお城の配色がとても印象的 で素晴らしといわれている。 忍び返しや石落としなどが造られ、防衛も万全な城。 西出丸から西大手門を出て行幸坂へ、左に備前掘を見ながら坂を下り加藤清正像に向かう。 イチョウ並木を通り、来た道を戻って泊まったホテルの駐車場へと急ぐ。くまモンを描いた路面電車が走っていた。 12時頃車を出し水前寺公園に向かう。熊本では水前寺成趣園(じょうじゅえん)と一般的には呼ばれている様だ。 出水神社 細川忠利公と細川藤孝公の像が公園の中にあります。 能舞台があります。 九州自動車道を走り、霧島に行くつもりが時間オ−バーで、鹿児島市維新ふるさと館に予定を変更する。 昇平丸、日本初の洋式軍艦の模型を展示してあります。 島津家から将軍の妻になった篤姫のNHKの「大河ドラマ篤姫」の衣装が展示。 維新の立役者、西郷隆盛や大久保利通などのロボットがせり出てきて、幕末の様子をドラマ仕立てで紹介する。 最終の「維新への道」を見て、時間が遅くなり今夜の宿泊地・指宿温泉を目指す。 |
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