京都旅行A平成26年1月21日 | |||||
二日目は四条烏丸のホテルを朝出て、東寺の初弘法、東福寺、泉涌寺、今熊野観音寺を拝観して東福寺駅へ ホテルを出て、京都地下鉄烏丸線四条駅へ、そこから九条駅まで乗る。 西に15分位歩いて東寺へ。 近鉄東寺駅辺りから非常に混む。東寺の南東の角の信号から警察官がマイクで西門から入るように指示をしている。 ぞろぞろ歩く人の流れについて行き門まで行くが、そのまま門の中へ押し込まれる。 お年寄りパワーは凄い。
正式な寺号は教王護国寺。1200年前平安京を守る官寺で、羅城門の東側にあったことから東寺と呼ばれる。 のちに空海がもらい受け、五重塔を建立して真言宗の道場としたため弘法さんの寺として発展した。 毎月21日に境内で開かれる露店市は「弘法さん」として親しまれている。 世界遺産。 陶芸品、骨董、和服の古着、櫛・かんざし、乾物、懐かしいお菓子、たこ焼き、おでん、などいろんな露店が出ている。 国宝の講堂に立体曼荼羅として知られる21体の仏像を安置されているほか、兎跋毘沙門天立像、両界曼荼羅図 など密教美術の傑作を多数所有する。五重塔は高さ55mで日本最大の木造塔として有名。 国宝館には国宝・重文をはじめ8200点余りもの寺宝が収められているので春秋の公開時は必見。 東寺の前のバス乗り場から東福寺に行くのがあり、少し待って乗る。 バスで東福寺へ。停留所から10分程で日下門。そこから入り直ぐ本堂(仏殿)がある。 本堂、庫裡、三門、禅堂、殿鐘楼、経蔵などを見て、拝観受付から通天橋を渡り開山堂へ。 開山堂横、普門院の縁側にしばらく座り、開山堂のお庭を拝観する。江戸中期の名園。 歩き回り写真を撮る。朱塗りの愛染堂(南北朝時代の建築)の前から渓に下りて行く。 渓を少し上った人気のない場所で、持参したはパンを食べる。 次に歩いて泉涌寺に行く。 泉涌寺は皇室に関係の深いお寺で、付近一帯が宮内庁の土地で古墳や皇室のお墓がいくつもある。 門の前で写真を写していると若い美人の娘さんの二人連れに「写真を撮して下さい」と頼まれた。 こちらも写してもらった。妻が隣にいるので目尻が下がらないよう気をつけた。 東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かにたたずむ泉涌寺は広く「御寺(みてら)」として親しまれている。 天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだ事に由来し、法輪寺となずけられた後、一時仙遊寺と改称されたが、 順徳天皇の御代(承久元年・1219)に当時の開山と仰ぐ月輪大師俊じょうが時の宋の法式を取り入れて、この地に 大伽藍を営む事を志し、当地の一角より清泉が湧き出ていた祥瑞によって寺号を泉涌寺と改め嘉禄2年(1226)には 重要な伽藍が完成した。この泉は今も湧き続けている。(泉涌寺パンフレットより) 本坊横の御座所庭園は整った庭で素晴らしい。 仏殿で仏像を見る。昔この寺で髭の生えた仏像か、観音像を見て印象的だったので見たいと思っていたが 分からない。最後に出口の際に楊貴妃観音像を見に行く。するとお髭がありました。女性の像なのに変だなあと、 お寺の人に聞くと、「それは髭ではなく人々に悟りを説いている時の口の動きを表現したものです。」と言う。 私には髭にしか見えないけどなあ! 泉涌寺を少し歩いた所に道標がありそこを右に曲がって今熊野観音寺に行く。 西国三十三ヶ所巡りの十五番札所、正式には「新那智山・観音寺」という。 御寺と呼ばれる皇室ゆかりの泉涌寺の塔頭(たっちゅう)で歴史が古く、かっては泉涌寺をしのぐ大寺であった。 応仁の乱の兵火などで事情が一変した。知恵の観音、ぼけ封じ観音、弘法大師など現代の信仰を広げる。 京阪電鉄東福寺駅まで歩き帰る。 |
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